どう答えればよかったのか・・・の話

里親

先日、高校時代の友達グループと久しぶりに遊びました。
この友達グループの中には、私の不妊治療のことや里子の事情を知っている子もいれば、久しぶりに会うためにそのことを知らない子もいます。
グループで遊ぶとなると、事前に里子の話をしておかないと友達間の中で辻褄が合わなくなってくるので、里子のことをあらかじめLINEで報告しておきました。(まだ実子になることが決定したわけではないので、ここだけの話に留めといてほしいことも伝えた。)

この日は6人の友人とK君含めて12人の子どもたちの大人数での集まりでした。
子どもたちも0歳児から小学校中学年と幅広く、賑やかな1日に^ ^

特に小学中学年の子達は、Kくんを気にかけてくれていて、抱っこしてくれたりお世話をしようとしてくれて、さすがお姉さんだなぁと嬉しく思っていました。

数分後。
小学生のその子(Bちゃん)の口から、
「里子なん?」と聞かれました。

小学生の子から”里子”というワードが出てきたことに驚き、
一瞬「ん?(°_°)」となり、
否定することもなく、ほほえむ私。
(まさか、子どもも里子のことを知っているとは思っていなかったので、びっくりして答えられなかった。)

友人よ、Bちゃんに里子のことを言ったのか・・・

小学中学年の子が、里子がどういうことなのか、どの程度理解できるのか私にはわからないけれど、個人的には言わないでほしかった。「赤ちゃんが生まれたんやって」ぐらいでよかったのよ、なんで言ったんや〜

数時間後、私とKくんとBちゃんの3人になった時、またもや里子の話を聞かれました。

Bちゃん「なんでKくんのお母さんは一緒にいないの?」

私「(なんて答えよう・・・)う〜んと・・・、産んだお母さんは育てられないって」

Bちゃん「そうなんや。本当のお母さんと一緒に(暮らせない)いれないなんて可哀想だね。」

(・・・だからアタイがいるねんー!!お母さんちゃうけど、わたし、お母さんやねん。←ややこしい。 (心の声))
「血が繋がってなくても家族やからね〜」

今考えると答えになってないけれど、「Kくんは全然可哀想じゃないよ」と言いたかった。

実親と暮らすことだけが幸せの形じゃないんだよー
育てられないからネグレクトやDVの問題があるんだよー
そっちの方がその子にとってよくないよー
幸せの形は人それぞれだよー、だから可哀想じゃないよー
↑全部言いたかったけど、言えなかった。

この日、Bちゃんが一番Kくんを可愛がってくれていたので、素直な疑問と気持ちで言っているのは分かったけれど、すんなり答えられない自分の不甲斐なさと、”可哀想”と言われてなんとも言えない気持ちになりました。

そして、”可哀想”と言われることがこんなに傷つくことだと初めて知りました。

このモヤモヤを感じる場面は、きっとこれからもたくさんあるのだろうなと思います。

Kくんが小さいうちはまだいいけれど、物心ついて本人が理解できるようになった時、Kくんが傷つけられないようにしたい。

生まれの真実告知する前に、周りから本人の耳に入ることは避けたい。
思わぬところから話は広がるもので、誰にどのように里子の話をしておけばいいのか考える日となりました。


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